ジョン・ガードンとクローン技術

サー・ジョン・ガードンの紹介です。

1995年にKnight(騎士)の称号を受けており、通例ではサー(騎士爵)を名前につけて呼びます。

本項ではあくまでも科学者としての部分にフォーカスする意味でガードン博士と呼びます。

2012年には山中博士とともにノーベル賞を受賞されています。

ラスカー賞も山中博士とともに受賞されています。

ガードン博士の業績については、Web上で既に多くが語られています。
時間のあるときに当サイトでもゆっくりと紹介をしますが、今回は割愛します。

参考までに二つほどリンクをはっておきます。
ジョン・ガードン/wikipedia
ノーベル医学・生理学賞を受賞したジョン・ガードン博士の業績/togetter

本投稿では、

JCBのPeople & Ideas にて紹介された記事を翻訳したものを載せております。

日本語で読みやすいに適時意訳もしくは改変をしておりますが、

元の文章も読みやすいので、是非オリジナルのこちらも読まれてください。

では、以下がJCBのインタビューです。

記事が出たのは2008年4月になります。

Sir John Gurdon: クローン技術Text and Interview by Ruth Williams.

(Translated by LSP member.)

ガードン博士は1960年代から70年代にかけてカエルのクローンを作製した実験で有名です。この実験は、当時の細胞生物学者たちの疑問を解き明かしましたといってもいいでしょう。その疑問とは”大人の細胞は受精卵と遺伝的に同一の情報を持っているのか”というものです。1950年代はじめには、分化後の細胞が分化前の情報を遺伝情報を維持するのは難しいと示唆されていました。ですが、ガードン博士はやってみせたのです。成体のカエルの細胞から核を回収し、あらかじめ核を除去した受精卵に移植することで、彼はクローンカエルを作製してみせたのです 1 2。クローン羊のドリーを含め、これら一連の実験は細胞代替医療が核移植によって可能になるかもしれないと示したのです。もしも受精卵への核移植ではなく細胞を直接リプログラミングできるのであれば、その夢はより大きくなるでしょう。この目的を達成するために、ガードン博士は受精卵がどのように核を”若返らせている”のか分子メカニズムを研究してきました 3

2006年には、京都大学の山中伸哉博士が分化した線維芽細胞に4つの因子を加えることでES細胞にリプログラミングすることに成功したと報告をしました 4。しかしながら、ガードン博士はインタビューで、核のリプログラミングをより効率的に行うために、まだまだ核移植から学ぶことが残っていると話しています。


Sir John Gurdon
ANNUAL REVIEWS

FROM LATIN TO LABORATORY

ー確か博士が学生の時に科学者になるのを強く反対されたと伺っていますが。

ええ、おっしゃる通りです。私が生物の授業を受けている際に、先生がレポートに書いてくださったのです。「ガードン君は将来、科学者になりたいそうですね。けれども、今の状況からしてその考えが全く話にならないレベルです。簡単な生物の事象をわかりもせずに、その仕事で生きていくことはできないと心してください。あなたにとっても、あなたに教える人にとっても、無題以外のなにものでもありません」この出来事は私にとって生物学への小さな洗礼だったと思います。

ー博士は先生の言葉を心に刻んでいるのですか。

そのレポートは今も私のデスクに気晴らしに飾ってあります。

ー何が博士をサイエンスに進ませるきっかけになったんでしょうか

私が明らかに科学には向いてないと思われていたのもあり、古典学を学ぼうとオックスフォードに出願していました。ですが、試験官が私にこう連絡をよこしたのです。「喜んであなたの入学を許可します。入学にあたって二つの選択肢があるので、よく考えてください。ひとつはすぐに古典学を専攻するか、もしくは別の科目を専攻することもできます。」

ーで、博士は動物学を選んだのですね。

そういうことです。あとになって、当時の試験官と話すことができたのですが、試験官が言うには、科学を専攻する学生がちょっとした手違いもあって、少なかったそうなんです。大体、30人分ぐらい空きがあったそうなんです。だから、私のような形で、例外的に科学を専攻する学生を集めてたんですね。わたしにとってはちょっとした幸運でした。

進学が決まった際、両親は私が本当は生物学に興味があることをしっていましたので、特別に補講をうけられるよう取りはからってくれました。

ーそして、追いついたと。それも博士が生物学にのめり込んでいたからこそですね。

私はいつも生物学に興味を持っていたのです。ですが、学校での教育課程とは合いませんでした。戦後、私たちは教科書もなく記憶をたどりながらノートを書いていたのです。今からしたらありえないかもしれませんが、そうでもなければ試験に通ることもきなかったのです。

ーオックスフォードにいた頃には既に頭角を示して、博士号(Ph.D)をとることを決めていたと伺っています。

ええ。ですが、実は趣味だった昆虫学で博士号をとろうとしていました。まぁ、希望したら断られてしまったのですが。ですが、これも私に取っては良かったのだと思います。結果的に、発生生物学をしている素晴らしい先生のところに所属できたので。

ーそして、マイケル・フィッシュバーグと出会い、核移植の実験を始めたのですね

その通りです。マイケルは私の師であり、本当に素晴らしい人でした。

ーですが、博士号取得後、博士はカリフォルニア工科大学にて全く違う研究をしていましたね。なぜでしょうか。

マイケルが私にアドバイスをくれたのです。「既に得意な分野で研究するためにポスドクをする必要はないだろう。どうせなら全然違うことをやってみたらいい。」マイケルはカリフォルニア工科大学のジョージ・ビードルと知り合いでした。なんで、彼を通して、私のポスドク先を斡旋してくれたのです。

そこで私はバクテリオファージの研究で若くて教授になったばかりのボブ・エドガーのところでポスドクになったのです。ですが、ファージの研究は今までやったことがなかったし、全然上手に扱えなかったのです。一年ほど頑張ってみましたが、ギブアップして胚の研究に戻りました。ですが、この経験は貴重なものでした。あの一年があったことで、今も学生たちに少しの間でも普段と異なる視点で考える必要性を説いています。

RETURN OF THE NAITIVE

ーカリフォルニア工科大学から英国に戻ってくるときはスムーズにいったのでしょうか

これもまた運が良かったのです。フィッシュバーグが丁度研究の拠点をジュネーブに移ったとき、彼のポストが空いていたのです。そこで、研究科長が私を雇ってくれたのです。

ー1971年にケンブリッチに着任して、1989年からはWellcome/CRC研究所をはじめています。どのようにして実現したのでしょうか。

私はマックス・ペルッツの分子生物学研究室に10年に渡り在籍していました。そんなおり、ケンブリッチ大学のホーン教授が、同僚のロン・ラスキーと私に分子発生学グループのスタートアップをしてくれないかと声をかけてくれたのです。

それは良い話でしたし、当時私の研究費を支出していたCancer Research Campaignからも研究の規模を拡大したらどうだとと提案も受けていました。ですので、こう答えたんです。「とても良い話だと思います。もっといえば小さめの研究所の形にできたら理想的ですが。」そしたら彼らはこう答えました。「いいでしょう。ですけれども私たちは全額援助しきれませんよ。”  そんなとき、運良くWellcome TrustがCancer Research Campaign(CRC)と共同で研究所の資金提供をすることしてもいいと言ってくれました。

ー2004年、Wellcome/CRC研究所の名前が変更になりましたが、どのように感じたでしょうか

これは、ちょっとおかしな状態にあったからです。研究所がはじまったとき、私たちはWellcome/CRC研究所と呼んでいましたのは間違いありません。ですが、全く同じスポンサーシップで作られた他の研究所もあったのです。もちろん、これらの研究所もWellcome/CRC研究所と呼ばれていました。

これでは区別をつけるにもつけられない。ですから違う名前をつけるのが良かったのです。当時、ジム・スミスという有能なディレクターがいたんだけれども、まぁ、世界中にスミスさんなんてたくさんいるでしょう。だから、そういう意味ではあまり良くなかった。もしもそういう人たちがですよ、行き先の候補リストを見ていて、珍しい名前の研究所を見つけたら、そう、きっとその研究所が選ばれるでしょう。

これは小さなことかもしれません。ですが、疑いようのないことなのです。名前は変わることよりも、それ以上に得られる価値を受け入れるべきでしょう。

CURRENT RESEARCH

ー現在、たった4つの因子を使うだけで分化した細胞からES細胞を作製することが可能になりました。核移植は今後どのように役割を得ることになるでしょうか。

核移植は今なお分化した細胞からES細胞を作製するための効果的な方法です。ヤマナカ(注:山中博士)の仕事はとてもクレバーですが、成功する確率は5000個に1個の細胞という割合です。


HeLa cell nuclei (top) appear quite different after being reprogrammed inside a frog egg (bottom).

私の考えでは、ES細胞への初期化に最も効果的なものは、卵が移植された核をリプログラミングする仕組みに鍵があると思っています。卵は他の細胞が持っていない核を若返らせる仕組みがあるのです。もしも私たちがこれらの働きを調べることができれば、iPS細胞と組み合わせることで、より良いものを作れるはずです。

上手くいけば、従来は遺伝子がどこに効いているかではなく、そもそも遺伝子を細胞に加える必要すらなくなるかもしれません。もしも、卵がしているようなリプログラミングを扱えるようになれば、もちろんゲノム情報も保持されますし、理想的ではないでしょうか。

ー核移植の効率も非常に低いと思っていましたが

完全な個体を作製しようとするならば、この方法は非常に難しいです。ですが、完全な個体ではなく一部分の作製であれば状況はかわってきます。

心臓や脳の細胞を作るためには、簡単に回収できる皮膚の細胞や骨髄の細胞をとってくるでしょう。例えば皮膚から筋肉の細胞を作るとして、iPS細胞なら5000分の1ですけれども、これなら卵を使うことで大体30%ぐらいの割合で成功できます。考えてみれば、卵の受精の際に、精子ー非常に特殊な形態をしている細胞でもありますーが胚細胞へと変化すると思えば納得できるのではないでしょうか。

ー30%はすごいですね。これはカエルででしょうか?

ええ、カエルです。ですが、動物細胞においても同じぐらいの効率で作製できるのではないかと考えています。

ーということは、ヤマナカが紹介した四つの因子よりも、卵をつかったほうが有用だとお考えですか?

正直、卵がそれらの因子のように使えるかはわかりません。いずれわかることでしょうが。ですが、少なくとも卵においてそれら四つの因子が使われている可能性は低いです。

ーもし違ったとして、例え非効率的であったとしても、なぜ4つの因子は分化した細胞を、未分化な状態に戻すことができるのだろうと考えでしょうか?

ある人は、線維芽細胞が特定の細胞周期の段階でヤマナカ因子を受けたときに起きると考えています。一方では、ヤマナカもそうですが、四つの因子が本当に低い確率でしか細胞に到達しないのではないかといういうものです。だから、遺伝子を導入しても、実際にできるのはわずかであると。

私たちの立場としては、ずっと、核移植をしてリプログラミングの際に、ヒストンがどのような状態にあるのかを研究し続けてきています。一つの可能として、ヤマナカ因子のターゲットであるである遺伝子のヒストンの変化によって、さらに多くの遺伝子が変化し、結果としてリプログラミングが効率的に行われているとも考えられるのではないでしょうか。

いかがでしたでしょうか。

以下、ガードン博士の動画を二つほどピックアップして紹介します。

時間があるときに、日本語解説を入れるようにも検討しております。

1. ノーベル賞受賞後にケンブリッジ大学でのインタビュー(わかりやすいです)

2. 2006年のConversations with historyでの動画

出典

Sir John Gurdon: Godfather of cloningPeople & IdeasThe Journal of Cell Biology

Notes:

  1. Gurdon, J.B. 1962. J. Embryol. Exp. Morphol. 10:622–640.
  2. Gurdon, J.B., and V. Uehlinger. 1966. Nature. 210:1240–1241.
  3. Gurdon, J.B. 2006. Annu. Rev. Cell Dev. Biol. 22:1–22.
  4. Takahashi, K., and S. Yamanaka. 2006. Cell. 126:663–676.
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