今まで読んだ環境問題の本のどれよりも静かなのに感情的になってしまう。
私の地球遍歴ー環境破壊の現場を求めてー
石弘之さん。現在は東京農業大学の教授です。
自伝といわれる本のたぐいではあるが、少し違うと思う。自分を振り返るのでなく、関わってきた環境問題に焦点を当ててるからかもしれない。
環境破壊に始まり、戦争などの、今の私たちの生活からは考えるのが難しいことを文章から思い描くことができた。そういったことを真摯に伝えられるのは実際に見ないとわからないのではと思っていた私には考えさせられました。
それぞれの章に脈々たる命を感じることができ、そこにある問題を提示されている。
各章を軽く紹介しておこうと思う。
第一章 環境保護運動家の死
環境保護の前線にいる人々の姿が映し出される。
日本で訴える環境保護などとは比較にならないぐらい、切実な環境破壊の現場での環境保護運 動。まさに戦争の最前線みたいなものだ。いのちをかけて環境保護のために走り回る。口でいうだけの「いのちをかける」。そんなものとはまったく違う、本当 の「いのち」をかけて、今日もどこかで死んでいる人がいるのかと思うとやりきれない。
第二章 死に急ぐ先住民たち
先住民の自殺率があがっている。それが意味するところは?
狩猟民族から狩りを奪ったら、どうなるのだろう。彼らが培ってきた文化は急速に変わり始めている。自分の意思とは無関係に変化の流れが襲ってきている。それでも、そこにある絶対的なジレンマと抱えて、彼らの伝統と押し寄せる近代化を見つめる。空虚さしか感じられなかった。
第三章 飢餓キャンプの現実
負の連鎖反応の繰り返し。
エチオピアという国のありかたについても考えさせられた。
第四章 砂漠の村のできごと
最後の追記が衝撃的だった。
砂漠化という、少し環境問題に興味があれば知っているような内容であるが、近年叫ばれている表層的なものでなく、その内側まで、さらにはそこに住む人々までレポートしてある。
第二章と同様、そこに住む人たちの伝統と現実とのジレンマを感じる。
第五章 東欧の汚染地帯
環境問題と政治のありかたを考えさせられる。
資本主義も環境破壊の一因であるけども、社会主義に関しては環境破壊の急先鋒になりえると心から思えた。結局は目先の欲にとらわれる現実が見える。
第六章 中国二つの大河
黄河の断流からはじまり、中国の発展速度に対す現状での環境問題。最終的には食文化までを語っている。なにかと環境問題で取り上げられる中国。日本に近いからこそ、私たちは知らなければならないかもしれない。
第七章 奪いつくされる海
人間の活動に屈する海、とはまさにその通りかもしれない。
かつて、人間は広大な海を無限にあるような錯覚に陥っていた。危ない化学物質を海 に投げ込めば、無限い希釈されて最終的には無害なものになる。そういう考えもあった。でも、実際は、そんなことはない。海で攪拌される前に問題がおきた り、はてには攪拌されても生物濃縮で帰ってくる。海は無限でないのだ。有限の中で一定の秩序を保っている。人口増加の一途をたどることによる、海への影響 をつづっている。
第八章 南極の緑の大草原
著者が強く思いを馳せていたという南極。
僕もいってみたいと思う場所の一つです。人間の手が加わっていない土地という印象が強いかもしれま せんが、その実態は基地の存在、観光客の押し寄せによって汚されているみたいです。また、地球温暖化やオゾンホールの拡大などのダメージをよく受ける場所 でもあるとのことで、とても繊細な場所なんだと思います。そんな場所のレポート。
第九章 原発事故の余波
日本にとっても他人事でない事件だと思う。
このチェルノブイリ原発4号炉での爆発は広島の原爆500個分もの放射線物質が飛び散ったそう だ。これだけで、どれだけ危ないかが大まかにだが想像できる。さらには、恩恵を受けている私たちにとって、この原子力発電は約束された負の遺産なんではな いかと考えてしまう。廃炉になった原発は未だに無害化する技術がないからだ。この事故の後、そこに住んでいた人々をメインに話が進んでいく。人間はなんて 愚かなんだろうと思えた。
第十章 戦争が奪う人間と環境
戦争の遺産は多くは負の遺産である。でも、僕にとっては残しておかなくてはならない、負の遺産だってあると思う。戦争の知らない世代が増えてきたと しても、戦争を再確認するものがあれば、実学にはほど遠くても学ぶことはできる。知っていることと知らないことでは大きな差がある。非人道的な戦争の行い を語っている。
最後のあとがきで、人間の営みがポジであれば、環境問題はネガであるというのは、とても共感した。人間が活動し続ける限り、環境問題はついてまわるのだ。
まずは、知ること。無知ほど罪なものはないと思う。長いこと人間がため込んできたポジとネガを真摯にうけとめ、日々の生活を送ってこそ、私たちが人間としてあるべき姿なのではないでしょうか。どこまでいっても、我であるのは人間の性かと思います。強い理性と先を見据える眼を持ちたいと思いました。